おいしいフォアグラとまずいフォアグラ

フォアグラについての印象というのは,初回に食べたフォアグラの質によって大きく左右される.

 

ぼくがまだ小学生のころ,親にいいレストランに連れて行ってもらって,フォアグラを食べた.甘くておいしく感動したのを覚えている.

 

それから数ヶ月たって,友達の家で夕食をごちそうになったときにたまたま缶詰に入ったフォアグラがでてきた.

 

友達がフォアグラを食べると,「なにこれ,まっず.これが高いの?信じられない.」この言葉をきいて,本当はフォアグラおいしいのに知らないなんてもったいないなあ,って思ったのを覚えてる.

(そこでまだまだガキだったので,高いやつはおいしいんだよ!とか生意気にまくしたててたような気がする.今思えば本当に恥ずかしいし,生意気なくそガキだ.)

 

この後,この友達が,今でもフォアグラを食べず嫌いでいるのか,もうおいしいフォアグラと出会って大好きになったのかは知らない.

 

でも,このようにはじめての印象が悪い場合,その後,毛嫌いしてしまうということはよくあることだと思う.

 

研究についても同じなんじゃないかと思う.

 

卒業研究や修士研究で,おもしろいと感じやすいテーマ(=結果が出やすい,結果が解釈しやすいなど)に出会えた人は研究の楽しさを実感できるだろう.逆におもしろいと感じにくいテーマ(=結果がでない,意義が明瞭でないなど)に打ち込むと,「なにこれ,つまらない.しかもこんなに忙しいの?信じられない」となる人がいるはずである.

 

後者になると,本当は研究はとてもおもしろい(と思える才能がある)のに研究なんてつまらないじゃないか!こんなのやる価値なし!と研究自体を食わず嫌いになってしまうかもしれない...

 

と,ここまで書いて思ったけど,微妙だと思っても,何回もチャレンジすれば,いつかその良さに気づく事ができるのかもしれないなあ.

(ただし,本当にその対象が本当に質のいい場合.もともとまずいものは何度チャレンジしてもまずいのである.)