読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Surphy’s diary

Surphyとは,SurfingとPhysicsを組み合わせて作った言葉です.気に入っています.サーフィンと仕事を中心に考えた事などを表現していこうと思います.

25年間生きてきて,最もつらかった経験:修士過程の研究

大学時代に打ち込んだことの続き.

 

surphy.hatenablog.com

 

 

 機械から応用物理に専攻を変えたぼくは,自信に満ちあふれ,独学で学んだ物理学がどこまで本場で通用するかを試したいという思いと,応用物理学科で本場の研究をしたいという思いでいっぱいであった.

 

 大学時代からこのころにかけて,本当に情熱的に勉強に励んでいたなあ.

何が原動力だったんだろう.

たぶん

・大学受験での不完全燃焼であった.

・物理学が本当におもしろいと感じた.

・あまり,他におもしろいことを知らなかった.

この三つが原動力だったんだと思う.

 

とにかく,新しい環境に入って,人脈すべてリセットの中,まずは同期と仲良くなるためにゼミに参加して,研究の話をして覚えてもらおうとがんばった.

 

ゼミの内容は卒業研究を発表するというもので,みんなのプレゼンのレベルの高さと内容の難しさにびびりたおしたのを覚えてる.

 

でもこのときは,努力して追いつかなければとポジティブにとらえてがんばれてたなあ.

 

それと同時に研究テーマ決めも,ある程度慎重に選んだつもりだ.

研究室に配属されて,びっくりしたのが,研究室見学の際にいた助教授がなんといなくなっていたのだ.

これは詐欺に近かったと思う.

(でもわかる仕方ないことかもしれない.ぼくもD1なのに研究室をやめたいと思っているのにも関わらずあまり研究室にみんなには知らせることができていない.知らせないとだめだなあ.がんばろう.)

 

また,先輩たちも元気がなく,先輩と同じテーマを選んだら,自分もダメにになってしまいそうで,少し不安を覚える.

 

しかし幸か不幸か,新しい立ち上げのテーマがあるという話をききつける.それも機械学科ではなじみのある材料が関係している.これこそ,自分にぴったりのテーマだし,企業との共同研究ということで,助教がいない環境でも企業の方と二人三脚でがんばれるはずだ!!と考え,そのテーマをもらうために,論文を読みまくり,教授に報告し,アピールしまくる.

 

その甲斐あって,見事の立ち上げのテーマをいただくことができた.

立ち上げは大変だと聞いていたが,どうせ他の研究も助教がいないのだから,大変だろうということで,挑戦することにしたのだ.

この選択は間違いではなかったと思う.

 

とにかく,論文を読む日々.

研究の方針を決めるミーティングに参加して,ときにはミーティングを自分で主催して皆さんの信頼を得るためにとにかく努力した.

 

本当にやる気に満ちあふれたいい若者だった.

 

そして,たぎる情熱に任せて,夏頃にリーディング大学院の出願を行う.

(リーディング大学院とは,博士課程進学を誓う代わりに給料をもらい研究するシステムだ.死すテムでもある.リーディング大学院に通った生徒の中の数人は博士をとる前にいなくなってしまう.ぼくもその一人になるのかもしれない.)

 

出願に必要な書類には,研究内容と自分の想いなどを書く項目があって,このような書類の作製ははじめてであったこともあって,文章を書く難しさを初めて実感しながら,ひいひい,いいながら土日も休まず書いていたなあ.

 

大変だったけど,楽しかった.

 

書いてある事がすべて論理的で首尾一貫しているようにするのは骨が折れる作業だと人生で初めてしった.

 

そんなテンションの中に書き上げた書類は,けっこう自分で読んでも満足できるできで,見事リーディング大学院に合格することができた.

 

はじめはお金をもらうことに少し後ろめたさというか,自分なりに最高の努力で挑んでいる物の一ヶ月の進捗は小さい物で,そんなんでお金をいただいていいものかと思っていた時期もあるが,なれというのは,こわくて,いつの間にかそんなことはみじんも気にならなくなっていたなあ.

 

とにかく,博士課程に進学しなければならないというこで,よりいっそう研究に励んだ.

 

最初にモチベーションが大きく下がったのは,国際学会へ情報収集をいったときだった.(自分は発表しない.)英語での発表内容を理解する大変さと質疑応答に答えることの大変さにびびってしまった.将来,英語で質疑応答に答えるなんて,とてもじゃないけど無理だ,と思ったなあ.

 

しかし,この不安は時間とともに消え去って,目の前の目標であった実験の自動化に励んだ.

基本的にすべて一人でやるというスタイルであった.身近に先輩はいないため,なかなか実験技術や知識などを教えてもらう機会が少なかった.

 

指導教員や他研究室の助教などに相談にはたくさん足を運んだが,やはり実験技術などを口頭で身につけるのは難しかったのか,後に自動化のプログラムは読みにくい物と成ってしまったし,光学系の扱い方を身につける事ができなかった.

 

しかしそんな事に当時は気づく事もなく,ひとまず自動化が完成し,次の実験にとりかかっていく.

 

念願の実験がスタートするわけである.

この実験は非常にわくわくした.結果を早く知りたい!そういう想いがあった.

 

実際に実験を続けて行くと,予想していた結果がでないことと,そもそも再現性がしっかりととれないという問題に打ち当たる事となった.

 

ここで,またテンションが下がる.

 

どうしていいか,わからなくなったのだ.

 

でもとにかく,定期的な研究のミーティングで話題になった話を論文調査していくという地道な作業を続けていたら,突破口が見つかる.

 

この突破口をみつけたことで,再びテンションが元に戻る.

 

そして,やるべきことが明確になったことから,また研究を進めて行った.

 

自分なりにおもしろいなと思える結果を得る事ができた.

 

しかし,それは研究の最終目標からすると,ほとんど貢献度のないもので,修論のまとめるにはどうすればいいのかという悩みが生じることとなる.

 

ここらへんから,今までのテンションの下がりかたよりもずっと,大きいdepressionに入って行く.しかももう実験をして新しい結果を出して行くようないいアイディアも時間もない.その中で,修士論文にまとめ修論発表をしなければいけない.

立ち上げの研究なので,もちろん修士論文は0ページからの執筆であり,どういう枠組みで書き上げればいいのかもよくわからなかった.

 

とにかく今までにやったこを書きならべてみると,試行錯誤していろいろやったため,ばらばらなことばかりである.

 

こんなばらばらなことからどうストーリーを組めばいいのか,まったく見当がつかない.

 

教授に相談しても,とりあえず書いて見なさいと.

 

毎日,わからなくて悩んだ.

 

12月の後半になると,わからなすぎて,シャワーを浴びなが「もう無理だ」,「意味わからない」などど声を荒立てるようになった.こんな経験,人生で初めてであった.

 

そして,それでもやらなければ卒業できない.

 

毎日続ける.とてもつらい.気分を紛らわすために大学にはいかず,スタバで執筆することが増えて行った.このときは本当に効率が悪くて,大量の時間をかけて,ほとんど進まないという日が続いた.でも続けるしか,修士課程を終える方法はない.

 

このころになるといよいよ.シャワーを浴びながら声を荒立てる元気すらなくなってきた.シャワーをあびながらただ涙を流していた.もう疲れて声も出したくない.

 

本当に不登校になりそうな自分が怖かった.

 

不登校にだけは成るな.

歩みを止めては行けない.

 

そう言い聞かせて,続けた.

その中で,似たような研究の博士論文をネットで探して,参考にするというすべを思いつき,試してみた.もちろん英語の論文だが,和訳することはもう慣れている.問題ない.自分で論文を0からすべて考えるのに比べたらずっと楽である.

 

これによって,なんとなく,どう書けばいいかわかる部分がでてきた.

このようにどうにか書いて書いて,書きまくる事で無事,修論を提出することができた.

内容はあまりいい物ではないとおもうが,90ページにまとめた.

これはぼくの宝だ.

本当につらかった.これは努力の結晶.濁って,きれいでない結晶かもしれないけど,価値のあるものだ.

 

しかし提出の次は修論発表だ.

発表用にストーリーを考える.

先程いったようにばらばらに見える結果をどう紡いで行くか,また大きく悩む事と成った.相変わらずテンションは底である.

 

毎日,「やばいやばい,わからない」と冷や汗を書きながら,机に向かう.まったく進まない.

 

これまでもリーディング大学院のQualifying Examや博士の院試,学会参加の報告など緊張する発表場面はあったものの,そのときよりもずっと根の深い不安だった.ぴんと張りつめた緊張感で今まではがんばれていたのだ.

 

今回は違う.不安が大きすぎて頭がうまく働かない.

本当につらかった.

何度も逃げ出す事を考えた.

 

でも逃げ出すともっとひどいことになることは明白だった.

 

修士課程はなにがなんでもとらねばならない.

 

疲れきって,当日発表を迎えた.

 

早く終わりたい一身で発表し,質疑応答はぼろぼろだった.

 

たぶん,元気がなかったのか,周りのみんなに心配された.

 

情けなかったけど,そういう発表になってしまった.

 

でも,そんなことはよくて,終わってよかった.とそういう想いであった.

 

もうこんなこと続けたくないなとそう想った.